真面目にゲームをする、とはなにか。

 僕が最後に真面目にゲームをしたのは忘れもしない、5年前のスプラトゥーン黎明期が最後になります。人生で初めて触ったシューティングゲームでした。それは、心踊り、血湧く、得難い感情を与えてくれました。

 しかしなぜ、もう5年も真面目にゲームをしていないのか。それはゲームを真面目にするのは疲れるからです。そうです、"ゲームを真面目にする"のはとても疲れることなのです。

 

 

 "真面目にゲームをする"とはどういうことでしょうか。それはひとえに"ゲームを楽しむ"ということでしょう。

 では、"ゲームを楽しむ"とはどういうことでしょうか。それを考えるには最低限ゲームを分類する必要があると思います。

 

 今回は、"静的対戦ゲーム","動的対戦ゲーム","その他の自己完結型ゲーム"の3種類に分けて考えてみましょう。

 

 

 "自己完結型ゲーム"を楽しむのは単純です。楽しいゲームを自分が楽しめるだけやり、飽きたら他のゲームに移る。それを継続的に続ける事が、"自己完結型ゲームを楽しむ"ということでしょう。

 場合によっては"勝ち負けを問わず対戦ゲームを触っているだけで楽しい"という人もこの楽しみ方に分類されます。

 

 

 "対戦ゲーム"を楽しむとはどういうことでしょうか。それは"上達するために努力をする"ことに行き着くと思います。

 

 

 "静的対戦ゲーム"には、ポケモンなどのコマンド対戦ゲーム、カードゲームやボードゲームなどの手番を規定通りに回すゲームが該当します。

 これらを上達するためには"環境を知る"必要があります。環境を知るというのは環境の主流の動きを相手に対戦をする(あるいは観戦する)事も該当しますが、最も真面目にゲームをするならば、自分自身が環境の主流に乗らなければなりません。

 

 みなさんも聞いた、あるいは言ったことがるのではないでしょうか。「俺は環境のアレ、嫌いだから使わないんだよねw」

 厳しい言い方をするならば、そういったプレイは、到底真面目にゲームをやっているとは言えません。

 上達のためには(メインで使うにしろ、そうでないにしろ)主流の動きを理解することが必須であり、最も速く理解するためには実際にそれをする必要があります。

 主流に乗ることこそが静的対戦ゲームを真面目にするということなのです。

 

 もちろん近道がそれなだけで、主流を相手取って対戦すればおおよそのことが掴めるでしょう。

 ですが、真面目にするという観点ではそういった遠回りは、矛盾するようですが、近道をした人にだけ許される行為なのです。

 "主流に乗らない"為には、結局"主流に乗る"必要があります。

 

 

 "動的対戦ゲーム"には、対戦FPS,TPSや、格闘ゲームバトルドームなど、手番の制限がなくリアルタイムで状況が動き続けるゲームが含まれます。

 これらを上達するためには、静的ゲームで述べた環境を知ること、主流に乗ることも肝要です。

 ですがもう一つ重要な要素があり、それは俗に言う"人間性能"を鍛える、ということです。人間性能は、基礎動作を正確にこなす"精密"と、より速く反応し対応する"反射"に分かれるでます。

 これらを鍛える事こそも動的対戦ゲームを真面目にするということなのです。

 

 僕は今25歳で趣味のAPEXをプレイするたびに反射の衰えを感じます。いえ、5年前にスプラトゥーンをしていたときにも感じていました、人より反射において劣っている、と。

 ふと当時の僕は、「反射を鍛えるためにバッティングセンターに通おう」と思いました。

 大学の授業には出ず、部活中はゲームをやり、業務は適当にこなし、バイトもせず、バッティングセンターに通い、そして単位を落としまくりました。

 

 その甲斐あって、100km/h,120km/h,130km/h,そして遂には変化球も打てるようになりました。(田舎なのでその程度までしか設備がなかった)

 もとい、ストーリーモードでの基礎動作の練習と、バッティングセンター通いにより、メキメキとプレイングは上達し、プレイ開始から1ヶ月後にS+が実装された際には半月もかからずポイントをカンストさせました。

 思えば辛い日々でした、部室で襲いかかってくる遊戯王、麻雀、スマブラ。そのためだけに大学まで1時間をかけて通い、帰りにバッティングセンターに寄り、減っていく預金、酒も付き合い程度にしか嗜まず、手のひらからこぼれ落ちる儚い単位。

 しかしその想いは結実しました。僕はこのとき、真面目にゲームをしていたのでしょう。

 

 そんな日々にも終わりがきます。単位を落としすぎたのです。

 そう、ゲームを真面目にするのは、疲れるのです。

 

 

 人は何かを犠牲にしなければ何事も成せません。成した気になることはできます。敗北から自分を騙すこともできます。

 ですが、人は自身の人間性に溺れて初めて、小さな何かを成すのです。

 

 なにが言いたいかと言うと全てのゲームは、バッティングセンター通いをしなくて良いように、刹那の見切りをミニゲームとして即刻実装すべきです。

 ゴーストオブツシマをゆったりプレイしながら、そんなことを思う日々なのでした。