"バスに乗れないオジサン"

"バスに乗れないオジサン"がどのような人物であるかを、ここに記すには余白が狭すぎる。が、あえてここに記すので読み流して欲しい。

 

 

僕とおじさんの出会いはもう4年も前の春になるが、その記憶は鮮烈で、今でも桜のように色褪せずに心の中に咲いている。

 

 

駅前の繁華街を歩いていた僕に、彼は突如として話しかけてきた。よれたシャツと濁った眼を持ち、こけた頬には少しの無精髭を蓄えた、その痩せぎすのオジサンは、困ったようにこう言ったのだ。

「財布を落としてしまいました。」「バスに乗るお金がないんです、210円を貸してください。」

 

善良なる市民であった僕は、その言葉を疑うことを知らず、快く「いいですよ。」と言い210円を渡した。

良いことをした日は気分がよく、もしもイカした音楽が流れていればダンスを踊っていただろう。

 

 

その1週間ほど後の昼頃のことだった。その日も駅前を歩いていた僕は、再び彼と邂逅したのだ。

僕が歩み寄ると、オジサンは困ったような顔をしながらこう言った。

「財布を落としてしまいました。」「バスに乗るお金がないんです、240円を貸してください。」

 

バス代が30円値上がりしている、まずそう思った。

次に浮かんだのは、彼はバスに乗れなかったのだろうか、という疑問だった。

 

「以前、210円を渡した者です。あのあとバスには乗れなかったのですか?」と財布を出しながら僕が尋ねると、オジサンは困ったまま笑みを浮かべて、

「どおりで坊っちゃん!どこか見覚えがあると思いました!」と言い、手を振りながら、こちらを振り返りつつ人混みの中に紛れていった。

 

 

その後、駅前でオジサンと出会うことはなくなった。もしかするとバスに乗れたのだろうか。その詳細は定かではない。

 

 

だが、今でもふと独りの時に想うのだ。

バス代はなぜ急に値上がりしたのだろうか、と。

オジサンは今日こそはバスに乗れたのだろうか、と。

 "バスに乗れないオジサン"は"バスに乗れるオジサン"に成れたのだろうか、と。